茶室「偕(かい)楽亭」(福島市霞町)で4月20日、茶室の一般見学と会員限定の夜茶会が開かれる。
同茶室は、同敷地の市民会館の閉館・消防署移設に伴い、来年、取り壊しが予定されている。会を開くきっかけについて、「WABUNKAふくしま」事務局、福島和服で街歩き会「和寿楽」(TEL 080-2352-4729)代表の照井寿美子さんは「昨年11月、お茶会を『偕楽亭』で開いた際に取り壊しの計画を知った。和文化を継承する、このすてきな場所をなくしていいのかと疑問に思った。かつて『料亭 偕楽亭』があったもみじ山公園、料亭女将(おかみ)だった故・志賀まささんについて、歴史をさかのぼって、藩主・板倉重寛がなぜ福島城二の丸外庭を『偕楽園』と名付けたのかなど、調べていくうちに『偕楽亭』の歴史的・文化的な重要さを認識した。皆さんに知ってほしいと思った」と話す。
かつての偕楽園、現在のもみじ山公園(福島市杉妻町)の地には明治以降、寺院「文明院」、鉱泉旅館、料理店「楓山亭」「観月亭」など、形を変えながら営みがあった。1908(明治41)年に志賀さんが料理店を改築し、「料亭 偕楽亭」を建設し経営。1936(昭和11)年に志賀さんが亡くなった際、「福島市民のために」と、「料亭 偕楽亭」の土地と建物を福島市に寄贈、集会などの場として、市民に親しまれていたという。その後、福島県がこの土地を公園化し、現在の紅葉山公園となり、福島市は霞町に福島市市民福祉会館(現市民会館)を建設した際、敷地内に茶室と庭園、報徳碑を設け、茶室を「偕楽亭」として名を引き継いだ。
「『料亭 偕楽亭』は文豪や政治家など、時の要人が訪れる、粋を極めた料亭だった。池の中島には茶室もあったと記されている。明治維新から激動の時代を見守り支えてきた場所だったと思う」とも。
当日の一般見学では、同茶室の建築・庭園・歴史などの説明を行う。夜茶会は「WABUNKAふくしま」会員限定で、代表の赤塚礼子さんらが茶を振る舞う。5月にも茶会を予定している。
「『偕楽亭』をきっかけに福島の歴史や文化にも興味を持ってもらえたら」と照井さん。
開催時間は、一般見学=13時~17時、会員限定の夜茶会=17時30分~、18時10分~、18時50分~。夜茶会は要予約。見学は無料。